講演者紹介

 
photo リチャード・アーミテージ
元米国務副長官
米戦略国際問題研究所(CSIS)理事
アーミテージ・インターナショナル代表

現アーミテージ・インターナショナル代表。元国務副長官(2001年-2005年)。1993年から2001年にはアーミテージ・アソシエイツ代表を務める。1989年から1993年にかけて、主要外交ポストを歴任。1991年の湾岸戦争時には、特使としてヨルダンのフセイン国王の元へ派遣される。また、旧ソ連の新独立国家(NIS)に対するアメリカの支援を特使として指揮した。
1983年から1989年にかけて国防次官補(国際安全保障担当)、1981年から1983年にかけて国防次官補代理(東アジア・太平洋地域担当)を務めた。
1967年、米海軍兵学校を卒業。ベトナム戦争では3度戦闘任務に就いた。国内外より多数の軍事勲章、公共サービス殊勲賞を授与されている。

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photo カート・キャンベル
前米国務次官補
東アジア・太平洋担当

カート・M・キャンベル氏は現在、アジア太平洋地域を専門とする戦略的アドバイザリー投資グループThe Asia Groupの会長兼最高経営責任者である。また、新米国安全保障研究所 (CNAS)共同議長を務める傍ら、ロンドンの「Financial Times」に定期的にコラム記事と書評を寄稿。2009年から2013年にかけて東アジア・太平洋担当国務次官補を務め、「アジアへの回帰政策(Pivot to Asia)」構築の第一人者として広く知られている。2013年には国務省功労賞を受賞。CNASを共同設立しCEOに就任すると同時に、アスペン戦略グループディレクター、Washington Quarterly誌編集委員長を兼任。それ以前は、戦略国際問題研究所において上級副所長、国際安全保障プログラム部長、およびヘンリー・ A・キッシンジャー国家安全保障研究部長を歴任。また、ジョン・F ・ケネディ行政大学院において公共政策学と国際関係学の准教授を務めた。

現在、ロンドンのスタンダードチャータード銀行とニューヨークのメットライフ生命保険会社の取締役、カリフォルニア大学サンディエゴ国際関係・太平洋研究大学院の諮問委員会、マーシャル奨学金受賞者協会など、数多くの機関の委員等を兼任。また、ロンドンの国際戦略研究所外交問題評議会と三極委員会の委員も務める。外交政策と国家安全保障に関する8つの書籍を執筆また共同執筆しているが、現在は、オバマ政権におけるアジア外交の経験について記した『回帰:アメリカによるアジア-太平洋の世紀の再発見[原題:The Pivot; America’s Rediscovery of the Asia-Pacific Century]』という仮題の作品を執筆中。

カリフォルニア大学サンディエゴ校で学士号、アルメニア・ソビエト社会主義共和国(当時)のエレバン大学で音楽と政治哲学を修め、マーシャル優秀奨学生としてオックスフォード大学ブレーズノーズ・カレッジで国際関係学博士号を取得。

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photo マイケル・グリーン
元米国家安全保障担当大統領特別補佐官兼アジア上席部長
米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長(アジア)兼ジャパン・チェアー
ジョージタウン大学准教授

米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長(アジア)兼ジャパン・チェアー、及びジョージタウン大学国際関係学部准教授を務める。2001年4月、国家安全保障会議(NSC)のアジア部長(日本・朝鮮半島・オーストラリア・ニュージランド担当)として就任した後、2004年1月から2005年12月まで、同アジア担当大統領特別補佐官兼上級アジア部長を務める。現在の主な研究分野は、アジア地域の協力枠組み、日本政治、米国外交政策史、朝鮮半島、チベット、ビルマ、及び米印関係など。
5年間日本に滞在経験があり、日本語に堪能。日本滞在中に、国会議員秘書を始め、日系及び米国系新聞のジャーナリスト、米国企業向けのコンサルタントを経験。これまでに、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)助教授、外交問題評議会フェロー、防衛分析研究所(IDA)研究員、米国防長官室アジア太平洋局上級顧問などを歴任。

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photo ジョン・ハムレ
元米国防副長官
米戦略国際問題研究所(CSIS)所長兼CEO兼プリツカー・チェアー

ジョン・ハムレ氏は、2000年1月、米戦略国際問題研究所(CSIS)の所長兼CEO、2012年12月にはプリツカー・チェアー(Pritzker Chair)に選出される。CSIS参画以前には、第26代米国防副長官を務める。副長官就任以前の1993年から1997年にかけては、国防次官(会計監査担当)を務めた。会計監査担当官として国防予算と運営改善プログラムの準備、発表および施行にあたり、国防長官の首席補佐役を果たした。国防省入省前には上院軍事委員会専門スタッフを10年間務め、主に調達、研究開発プログラム、国防予算問題、および上院歳出委員会との関係について監督・評価を担当した。1978年から1984年にかけて議会予 算局に勤務、国家安全保障および国際問題担当副部長代理として、上下院の委員会に向け分析やその他のサポートを担当した。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院にて国際政治、国際経済および米国外交政策を専攻、1978年に優秀な成績で同大学院の博士号を取得。

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photo ジョセフ・ナイ
ハーバード大学特別功労教授
ハーバード大学 ケネディ行政大学院 前学長

ハーバード大学特別功労教授。同学ケネディ行政大学院前学長。1958年にプリストン大学で学士号を最優等で取得。ローズ奨学金でオックスフォード大学に進学した後、ハーバード大学で政治学博士号を取得し、1964年から同学で教鞭を執る。2008年には国際関係学者2700人の投票により米外交政策上最も影響力のある学者に選ばれ、2011年の調査では国際関係に関して過去20年間で4番目に影響力のある人物に選ばれた。「Foreign Policy」誌による「世界の思想家トップ100人」にも選出されている。

1977年から79年にかけ国務次官補および国家安全保障会議核兵器不拡散グループ委員長を兼任。1993年から94年には大統領のために諜報評価を行う国家情報会議議長、また1994年から95年にかけては国際安全保障担当の国務次官補 を務めた。この間これら3つの政府機関から功労賞を授与されている。

学術書と小説13冊を出版し、専門誌や政策雑誌に200を超える記事を寄稿。近著には、「The Economist」誌により「緻密で説得力がある」と評された『ソフト・パワー』〔原題:Soft Power〕、『リーダー・パワー: 21世紀型組織の主導者のために』〔原題:The Powers to Lead〕、『フューチャー・オブ・パワー』〔原題:The Future of Power〕がある。最新著『大統領のリーダーシップとアメリカの時代の創造[原題:Presidential Leadership and the Creation of the American Era] 』が2013年5月に発表されている。

米芸術科学アカデミー、英国学士院および米外交アカデミーの特別研究員、またオックスフォード大学エクセター校の名誉会員である。プリンストン大学からウッドロー・ウィルソン賞、米国政治学会よりチャールズ・メリアム賞、またフランス政府から教育功労賞、またその他様々な名誉学位を授与されている。

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ジェームズ・スタインバーグ
前米国務副長官

シラキュース大学マックスウェル行政大学院長

シラキュース大学マックスウェル行政大学院長および社会科学・国際関係・法律担当大学教授を兼任。2011年7月1日に院長就任以前は、クリントン政権で国家安全保障担当の大統領副補佐官を務めた。また、2005年から2008年にかけてリンドン・B・ジョンソン公共政策大学院長、2001年から2005年にはブルッキングス研究所で副所長と外交政策研究部長を兼任し、アメリカ外交政策に関して幅広い研究プログラムを指揮。1996年から2000年にかけクリントン政権で大統領副補佐官を務め、1998年と1999年のG-8サミットでは大統領の個人代表として参加。国家安全保障問題担当の大統領副補佐官に就任以前は、国務省において政策企画局長さらに情報調査局の分析担当副次官補を歴任。それ以前は、上院軍事委員会でエドワード・ケネディ上院議員を補佐し、上院労働人的資源委員会の少数派顧問を務めた。 スタインバーグ氏は、マイケル・オハンロン氏と「戦略的保障および戦略的解決:21世紀の米中関係(Strategic Reassurance and Strategic Resolve: US-ChinaRelations in the 21st Century)」を共著。また、カート・キャンベル氏と共同で執筆した「政権交代と対外政策:アメリカの史的検証」(2008年)がある。ハーバード大学で学士号、イェール法科大学院で法学博士号を取得。妻のシャーバーン・アボット氏は、シラキュース大学で持続可能性イニシアチブ副責任者および持続可能性科学・政策担当の大学教授である。夫妻にはジェナとエマという二人の子供がいる。

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photo 石破 茂
自由民主党幹事長

1979年、慶應義塾大学法学部卒業後、株式会社三井銀行(現・三井住友銀行)入行。1986年衆議院議員初当選、以来9期連続当選。内閣では、農林水産政務次官(宮澤内閣)、農林水産総括政務次官・防衛庁副長官(森内閣)、防衛庁長官(小泉内閣)を経て、2007年に福田内閣で防衛大臣。2008年に麻生内閣で農林水産大臣。国会では、規制緩和特別委員長、運輸常任委員長、自民党では過疎対策特別委員長、安全保障調査会長、政務調査会長などを務める。
著書に、『国防』『国難 政治に幻想はいらない』『こんな日本をつくりたい』(宇野常寛氏との共著)『真・政治力』『国防軍とは何か』(森本敏氏、西修氏との共著)『日本を、取り戻す。憲法を、取り戻す』などがある。

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photo 野田 聖子
自由民主党総務会長

生年月日 1960年9月3日
選挙区  岐阜県第1区
当選   7回
現職   総務会長

1960年9月3日 福岡県生まれ
1983年4月 帝国ホテル 入社
1987年4月 岐阜県議会議員選挙で当選
1990年2月 第39回衆議院議員選挙に立候補し、落選
1993年7月 第40回衆議院議員総選挙で初当選
1996年10月 第41回衆議院議員総選挙で再選
1996年11月 【第2次橋本内閣】郵政政務次官
1998年7月         【第1次小渕内閣】郵政大臣 
2000年6月         第42回衆議院議員総選挙で三選 
2003年11月        第43回衆議院議員総選挙で四選
  衆議院総務委員会筆頭理事、自民党政務調査会副会長。 
2005年9月          第44回衆議院議員総選挙で五選
2008年8月         【第2次福田内閣】内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全) 
  【第2次福田内閣】消費者行政推進担当大臣 宇宙開発担当大臣 
2008年9月         【麻生内閣】内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全) 
  消費者行政推進担当大臣 宇宙開発担当大臣 
2009年8月          第45回衆議院議員総選挙で六選
  消費者問題調査会会長 
2012年12月       第46回衆議院議員総選挙で七選 
  自由民主党総務会長 

●著書
「私は産みたい(新潮社2004年)」
「不器用(朝日新聞社2007年)」
「生まれた命にありがとう(新潮社2011年)」等。

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photo 岩屋 毅
衆議院議員(自由民主党)

1957年8月24日生。別府市立青山小学校・青山中学校を経て鹿児島ラ・サール高校入学。早稲田大学政経学部政治学科卒業後、代議士秘書として政治の基礎を学ぶ。

1987年 大分県議会議員初当選(29歳)
1990年 旧大分2区より衆議院議員初当選(32歳)
1993年・1993年の選挙では落選
2000年 衆議院大分3区より当選し再起を果たす(2期目)
2001年1月~5月まで、防衛庁長官政務官を務める。
2003年 第43回総選挙当選(3期目)
2002年1月~2004年10月まで自民党副幹事長
2005年9月 第44回総選挙当選(4期目)
2005年3月~12月 自民党大分県連会長
2005年9月~2006年8月 自民党政務調査会副会長
2006年9月~2007年8月 外務副大臣
2007年9月 自民党国会対策副委員長就任
2008年9月 衆議院文部科学委員長就任
2009年8月 第45回総選挙当選(5期目)
2009年10月 自民党大分県連会長就任
2010年9月 自民党国防部会長
2012年10月 自民党安全保障調査会長、総務副会長
2012年12月 第46回総選挙当選(6期目)

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photo 長島 昭久
元防衛副大臣

1962年2月17日横浜市生まれ(寅年)。慶應義塾大学で法学修士号(憲法学専攻)取得の後、衆議院議員公設秘書を経て、国際政治を志し渡米。
ヴァンダービルト大学客員研究員を務めた後、1995年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で修士号(国際関係論)。1997年日本人初の研究員として外交問題評議会(CFR)入り。1999年 に東京財団主任研究員として「アジア太平洋における米軍の前方プレゼンス」研究に着手、論文「安全保障のビッグバン」で読売論壇新人賞最優秀賞受賞、その後2000年にCFRで上席研究員。同年末に帰国、衆議院 補欠選挙(東京21区)に初挑戦するも敗北。3年の浪人の末2003年11月の衆議院選挙で初当選、以来4期連続当選。その間、衆議院外務委員会、安全保障委員会、拉致問題特別委員会、海賊・テロ対策特別委員会で理事を務め、民主党では副幹事長、国対副委員長、政調副会長、ネクスト防衛庁長官等を歴任。2009年の政権交代で鳩山由紀夫および菅直人内閣の防衛大臣政務官に就任。その後、衆議院外務委員会筆頭理事、民主 党常任幹事、党外交安全保障調査会事務局長、新成長戦略推進本部事務局長代理を歴任し、2011年9月、野田政権発足に伴い総理大臣補佐官(外交および安全保障担当)、2012年9月の内閣改造で防衛副大臣を務める。現在、民主党東京都連幹事長を務めるほか、超党派の「新世紀の安全保障を確立する議員の会」代表幹事、戦略的日韓議連幹事長、戦略的日台議連会長、日インドネシア議連会長代行、日ルーマニア議連幹事長など、戦略的な議員外交を展開している。著書に、『「活米」という流儀―外交・安全保障のリアリズム』(講談社2013年)、『日米同盟の新しい設計図』(勁草書房2004年)等のほか、石破茂元防衛大臣、森本敏前防衛大臣との共著『国防の論理』(PHP研究所2007年)がある。

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カート・トン カート・トン
在日米国大使館臨時代理大使

カート・トンは2013年8月12日以降、在日米国大使館臨時代理大使を務めている。それ以前は2011年12月から在日米国大使館首席公使であった。

首席公使就任前はアジア太平洋経済協力(APEC)担当大使として米国のAPECへの参加全般を統括するとともに、国務省東アジア太平洋局の経済調整官を兼務し、同局の経済政策課題への取り組みを主導した。

在日米国大使館(1996-99年)をはじめ、フィリピン、中国、韓国の米国大使館など、東アジアでの勤務および研究活動は17年に及ぶ。国務省朝鮮部長(2008-09年)、国家安全保障会議(NSC)アジア経済担当部長(2006-08年)を務めたほか、東京大学経済学部で客員研究員として研究活動(1995-96年)に従事。1990年に国務省入省。それ以前は東京のボストン・コンサルティング・グループにアソシエートとして勤務。

プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクール(公共・国際政策学部)で学士号を取得後、国務省付属の外務研修所で大学院レベルの経済学を学んだ。他に北京教育学院、台北のアメリカ・カナダ大学連合中国研究プログラム、東京のアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターと国際基督教大学で学んだ。

日本語と標準中国語を話す。日本経済研究センター発行の学術論文誌「日本経済研究」およびフォーリン・ポリシー誌で論文を発表している。オハイオ州に生まれ、マサチューセッツ州で育つ。サッカー、テニスなどのスポーツを愛好。妻の丸本美加との間に3人の子どもがいる。

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photo 北岡 伸一氏
国際大学学長
政策研究大学院大学教授
東京大学名誉教授

1971年 東京大学法学部卒業
1976年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了
1976年 立教大学講師、助教授、教授を経て
1997年 東京大学大学院法学政治学研究科教授
2004年 特命全権大使(日本政府国連代表部次席代表)(~2006年9月)
2006年 東京大学大学院法学政治学研究科教授
2012年 東京大学名誉教授
  政策研究大学院大学教授
  国際大学学長

首相官邸「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」座長代理、「安全保障と防衛力に関する懇談会」座長、外務省「日中歴史共同研究」日本側委員座長を歴任。

著書
『国連の政治力学:日本はどこにいるのか』(中央公論新社、2007年)
『自民党:政権党の38年』(中公文庫、2008年)
『グローバルプレイヤーとしての日本』(NTT出版、2010年)
『独立自尊:福沢諭吉の挑戦』(中公文庫、2011年)
『日本政治史:外交と権力』(有斐閣、2011年)
『日本政治の崩壊・第三の敗戦をどう乗り越えるか』(中央公論新社、2012年)

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photo 谷内 正太郎
内閣官房参与・元外務事務次官
早稲田大学日米研究機構日米研究所 教授
慶應義塾大学総合政策学部客員教授
東京大学教養学部 非常勤講師

東京藝術大学アートイノベーションセンター 客員教授

1944年1月6日、金沢市生まれ。1969年、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了後(修士号取得)、外務省入省。本省では、アジア局、北米局、条約局(4回)、人事課長、条約局長、総合外交政策局長、内閣官房副長官補、外務事務次官、在外では、在アメリカ合衆国日本国大使館(2回)、在フィリピン日本国大使館、在EC代表部勤務、及び在ロスアンジェルス日本国総領事を務める。米国フレッチャー・スクールで研修(1970年~72年)、ハーバード大学国際問題研究所フェローとして研究経験(1987年、88年)あり。また、この間、早稲田大学国際学部(1986年)、上智大学法学部(1993年、94年)、西南学院大学法学部(1993年)、慶應義塾大学法学部(1996年)、中央大学法学部(2001年)各非常勤講師を歴任。2008年1月、外務省を退官。

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