第21回受賞者

経済部門
アクシャヤ・パトラ財団<団体受賞>(インド)
写真は、代表=マドゥ・パンディット・ダサ会長
科学技術部門 江雷 氏
中国科学院理化技術研究所教授
文化・社会部門 ドグミド・ソソルバラム 氏
俳優・歌手・舞台演出家(モンゴル)
マイ・キエウ・リエン氏
インド国内の小中学校計1万1千校に給食を提供しているNGO。150万人に昼食を無料で提供し、インドの今後の経済発展を支える子どもたちの通学意欲を高めた。
王貽芳氏
生物模倣研究の世界的な第一人者。ハスの葉、クモの巣、魚のウロコなどから「超はっ水」の機能を解明。研究成果から生まれた材料は実用化され、世界の産業に大きく貢献している。
リチャード・パンチャス芸術監督・創設者
モンゴルで、数多くの映画や舞台に出演、世界でも高い評価を得る。同国初の民間劇場を創設するなど、文化・芸術を通じた民主主義・自由の啓発活動に取り組んでいる。
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経済部門
マイ・キエウ・リエン氏
「無限の鍋」に宗教の垣根なく

アクシャヤ・パトラ財団はバンガロール市内のヒンズー寺院「イスコン・テンプル」の敷地内にある。アクシャヤはヒンディー語で「無限」、パトラはサンスクリット語で「鍋」を意味する。2015年3月期の寄付金収入は14億7034万ルピー(約24億円)で、2年間で倍増した。従業員数も6256人に達し、一般的な非政府組織(NGO)のイメージとはかけ離れている。

マドゥ・パンディット・ダサ会長は、そのヒンズー寺院の住職。学生時代にヒンズー教の神の一つ「クリシュナ」の布教活動に触れ、宗教の道に進んだ。

ただ、自身はインド最高学府の一つ、インド工科大学(IIT)ムンバイ校の出身だ。宗教家とはいえ、著名経営者らを輩出する大学で学んだことで、経営者らと話す際に使える「ビジネスや経営の透明性といった共通言語」を手に入れた。インフォシスの元CFO、モハンダス・パイ氏だけでなく、米モトローラで品質管理を担った経歴を持つ人物らが財団に入り、トヨタ自動車のカイゼン方式を導入する。

「財団は宗教とは無関係」が信条。給食はイスラム教徒の学校にも提供する。5000人の子供らが住むバンガロール市内のイスラム教徒地区で給食を拒まれたこともあったが、地区の宗教指導者らを自らの寺に招き、プレゼンテーションを交えながら懇々と説得し、了承を得たこともある。59歳。 

150万人に給食 学び支える

三つ編みの少女アクシータさん(14)は朝6時に起きると10平方メートルの床を掃除する。そして台所の一角へ。「前の晩のサンバル(カレー)が残ってないかな」。だが建設作業員の父と縫製工場で働く母の稼ぎを合わせても月9千ルピー(約1万5千円)と少なく、食べ物のない朝は多い。

「学校の給食をすぐに思い出すの。昼には食べられるって」

アクシータさんが通うインド南部バンガロールの学校に給食を提供しているのが、非政府組織(NGO)のアクシャヤ・パトラ財団だ。アクシータさんは3月のその日も、白いご飯の上に山盛りの野菜カレーとヨーグルトを載せてもらっていた。財団の給食を食べる子供はインドに150万人いる。全29州のうち10州の1万1千校が対象で、政府を除けば「世界最大の学校給食事業者」と呼ばれる。

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「彼に学校給食の提供を勧められたのがきっかけだ」。財団のマドゥ・パンディット・ダサ会長は2000年の出来事をこう振り返る。「彼」とは、IT(情報技術)大手インフォシスの元最高財務責任者(CFO)、モハンダス・パイ氏だ。財団と同じバンガロールに本社を構える。

ダサ会長はインドでも有名なヒンズー寺院の住職。寺の訪問者に無償で食事を提供するのを知っていたパイ氏は、学校給食による社会奉仕を勧めた。当時のインドでは給食が義務化されておらず、弁当のない子供は空腹のまま勉強し、食いぶちを稼ぐため小学校を中退する子も多かった。

ダサ会長は2000年7月、寺の調理場で作った1500食をバンガロール市内の5校に提供し始めた。だが1カ月とたたないうちに「寺のご飯」の噂は広がり「私の学校でも」と求める手紙が届き始める。調べると「自宅にまともな食事のない子供が市内だけで100万人いるとわかり、衝撃を受けた」。各校の要請に応じ配膳規模を広げた。

セントラルキッチンは現在、インドの10州に24カ所あるが、バンガロールの1カ所目はダサ会長自身が設計にかかわった。蒸気調理器や煮沸器、コンベヤーなど「最新式の技術を導入して3万食の提供が可能になった」。

資金面の支えとなったのが寄付金だ。当初は寺への寄進を原資にしたが、01年にアクシャヤ・パトラ財団を設立して寄付金も募り始めた。

「寄付金が集まる最大の理由は透明性だ」とダサ会長はいう。監査は会計事務所KPMGに委託し、100ページ超の年次報告書を国際会計基準(IGRS)で作成する。理事に就いたパイ氏ら経営に明るい外部人材も、透明性や品質を高める。インド政府が14年4月から、大企業に利益の2%を「企業の社会的責任(CSR)」活動に拠出するよう義務付けたのも追い風で、寄付金は増える一方だ。

財団の最大の貢献は、インド政府が04年に公立校での給食を義務化する陰の立役者になったこと。「政治家も一般市民もみな我々の活動を知っていた。このため、給食の義務化を勝ち取るべく協力しなければならないという思いを持つことができた」と振り返る。

国連統計によると、インドの小学校の就学率は07年以降、99%を記録しており、02年の86%から大きく伸びた。「学校給食が教育に果たす役割は大きい」。ダサ会長は、腹をすかせた子供たちが、給食をきっかけにして学校に通うようになってきたことに目を細める。

財団の給食は、一般の公立校より1品多い3品。政府補助金に寄付の資金を上乗せし、1食当たり9ルピー(15円)の原価を確保できるからだ。今も給食提供の依頼が絶えない背景には「ほとんどの生徒にとって給食が一日で唯一の食事」(アクシータさんの学校の校長)という現実がある。

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「2020年に500万人の子供に給食を届ける」のがダサ会長の目標だ。新たなセントラルキッチンも8カ所で建設中だ。ただ500万人といっても「貧しい子らが通う全国の公立校の生徒1億2千万人の一握り。需要は無限にある」。「無限の鍋」を意味するアクシャヤ・パトラの果てしない挑戦は続く。

<2016年5月8日 日本経済新聞社 朝刊>
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科学技術部門
王貽芳氏
「一生一事」遊びの中にも発見

1965年、中国吉林省長春市生まれ。読書が好きで、小さい頃から歴史書や小説を毎日欠かさず読んでいた。空想癖があるといい、少年の時は世界を股にかける国際スパイが夢だった。その後は化学者だった父親の影響もあり、一生の仕事となる科学の世界に入った。

日本との関わりは深い。吉林大学修士課程の時、国の特別研究賞を取り、92年に交換留学で日本に渡った。師事したのが東京大学の藤嶋昭教授(現・東京理科大学学長)だ。「一生一事」。人生の間に1つの真実を突き詰めれば、ほかの事は分からなくてもいい。1つ事にこだわれ。正月に酒を酌み交わした時の教えを今も実践する。

2009年には中国科学院院士に。毎日深夜まで働くが、土日はきっちり休む。長女(14)と長男(11)と遊ぶのが何よりの楽しみだ。バーベキューや釣りをしているさなかに、よく新たな研究の糸口をひらめくという。「遊びの中にいつも発見があるよ」。51歳。

夢の材料 解は自然の中に

ハイテクが人間の専売特許と思ったら大間違いだ。極彩色に満ちたチョウの羽、壁をはい上がるヤモリ、水中を猛スピードで泳ぐサメ……。その発見も雨上がりによく見る水たまりが原点だった。

小さく広がる波紋の中心、水の上をすいすいとアメンボが滑っていく。なぜ浮いていられるのか、なぜ自在に動き回れるのか。突き詰めると、面白いことが分かってきた。

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アメンボの脚の先、拡大すると筆のように無数の毛が密生している。さらにその一本一本の毛先をよく見ると、表面は複数の細い帯が絡み合うらせん状になっていた。帯1本の幅は約200ナノ(ナノは10億分の1)メートルだ。帯と帯の間には微細な溝があり、そこに気泡が入り込むことで、水を強くはじく「超はっ水」という現象が起こっていたのだ。

アメンボはあの細い脚1本で、自分の体の15倍に相当する重量を水に浮かべられる。極小のらせんが生む強い浮力が水の抵抗をなくし、人間の大きさにすると時速400キロという高速の水上移動を可能にしていた。電子顕微鏡でしか見られない分子レベルまで追究していって、初めて分かった不思議な構造だった。

「道法自然。こんなに面白いことはないよ」。江氏の口癖だ。自然を模範とし、これを学ぶべきである。古代中国の思想家、老子の言葉を材料化学の世界で実践する。根幹にあるのは、自然に対する尽きない興味と畏敬の念だ。

朝のクモの巣に大量の水滴が張ってあるのはなぜか。砂漠のサボテンは雨なしでどうやって生きていられるのか。食虫植物のウツボカズラはどのように虫を捕食しているのか――。これまでその成果は何度も権威ある英科学誌「ネイチャー」の表紙を飾り、世界を驚かせてきた。

真骨頂はそうした研究結果を、実際に機能材料として産業分野で応用することにある。再現された生物の特性はハイテクそのものだ。

例えばアメンボなどから分析した「超はっ水」の仕組みだ。カーボンナノチューブなどを使って人工的に100ナノメートル単位の極小でこぼこを再現した。フィルムや塗装剤の形で衣類や文化財を覆えば、水や汚れから保護できる。魚のウロコからは水中でも油や汚れをはじく表面構造を解析、今では世界の海を航行する700隻以上の船舶で船体保護などに使われている。

海外に住む優秀な研究者100人を呼び戻す政府の「百人計画」を受け、30代で権威ある中国科学院に。今は60人の若手研究者を指導する。だがここに至るまで順風だったわけではない。留学組への期待と圧力、大抜てきへのやっかみ……。自身もなかなか成果を出せず、焦っていた。

転機はドイツで開かれた学会に出席した時だ。「池に浮かぶハスがなぜいつも美しく咲いているのか。原理が解明できれば、面白いんだけど」。同僚らの冗談話を聞いて、頭の中を光が走った。

ハスの葉には、水が触れても表面は決してぬれず、自然に水滴となって汚れを絡め取りながら転がり落ちる不思議な特徴がある。江氏はハスの葉を覆う無数の極小ぶつぶつを発見し、これが「超はっ水」を生み出していることを突き止めた。だがなかなか人工的に構造を再現できず、壁にぶち当たる。

「そんな研究はいらない」「できるわけがない」。中国国内でも懐疑的な見方が広がり、根拠のないゴシップに心を痛めることもあった。それでも1日14~16時間、土日なく研究室にこもって3年間。「自分でも分かるまで、とにかくやめられなかった」。愚直に実証試験を繰り返した。

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そして2001年。専門科学誌に発表したのは、防水や防汚など新材料として様々な応用が期待できるハスの驚くべきハイテク構造だった。画期的な研究成果で、江氏が世界に飛び出した瞬間だった。

国の材料化学の第一人者として国内外企業との産学連携に力を入れる。中でも期待するのが素材・材料大国である日本企業との協力だ。理由を尋ねると、こう返ってきた。「日本は文化的にも歴史的にも、中国を最も理解しているでしょ。こんなに近いんだから、できることも無数にあるよ」

<2016年5月8日 日本経済新聞社 朝刊>
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文化・社会部門
アジア・ユース・オーケストラ
伝統芸能を未来へ 若手指導に力

1958年、モンゴル中南部バヤンホンゴル県生まれ。16歳の時に歌や踊りなどモンゴルの伝統芸能の全国コンクールで優勝し、芸術の道を志した。82年にモンゴル国立師範大学映画舞台芸術科を卒業し、国立劇場に俳優として就職した。

これまでに20以上の映画と20以上の舞台への出演経験を持つ。チベット仏教で仏や菩薩(ぼさつ)の化身とされる活仏を演じた映画「ゴビの聖者」などの作品は世界でも高い評価を得ている。

社会主義体制下の89年ごろに始まった民主化運動で、若きリーダーのひとりとしても知られた。政治集会では詩の朗読や歌などで民衆を鼓舞し、現在の与党・民主党につながる野党勢力の結集で大きな役割を果たした。

当時の仲間が政治家として要職に就いているのに対し、同国初の民間劇場の創設など文化・芸術を通じて自由や民主主義の大切さを国民に啓発してきた。2009年以降はエルベグドルジ大統領に請われ、大統領の文化・芸術担当非常勤顧問を務める。

近年はモンゴルの伝統芸能を未来に継承するため、若いアーティストのプロデュースに力を入れている。13年にブルガリアで開かれた世界民族芸能祭ではモンゴル代表のドモグ歌舞団を率いてグランプリを獲得し、「マエストロ(巨匠)」の称号を得た。

趣味は帽子や小物を入れる箱を集めること。好物は元女優のニンジバダガル夫人がつくる羊肉麺だ。1男1女に孫が3人いる。57歳。

 

心を洗う歌声、自由を啓蒙

遊牧民の家庭に生まれた幼少期に、草原で馬に跨がり、月を眺めてひとり歌っていたのがモンゴルを代表する芸術家、ドグミド・ソソルバラム氏の原点だ。祖母のモンゴル長唄を聞いて育ち、歌に興味はあったが、人前で披露することは避けていた。

15歳のある日、思い立ってクラスメートの前で歌うと「みんな静まり返ってしまった」。よく通る重厚な歌声に驚くあまり、拍手を忘れたのだという。翌年、学校を代表してモンゴル伝統芸能の全国コンクールに出ると歌、踊り、楽器など5つの部門で優勝。大学では演劇を専攻し、才能を開花させるはずだった。

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立ちはだかったのが社会主義体制だ。大学を卒業した1982年当時、モンゴルはソ連の衛星国だった。国立劇場に俳優として就職したものの「ソ連の社会主義をたたえる作品ばかり演じさせられ、疲れた」。表現の自由を求め、民主化に関心を向けた。

「心が洗われるような歌声だった」。清水武則駐モンゴル大使は2等書記官だった89年、首都ウランバートルの自宅にソソルバラム氏を招いたことを懐かしむ。ウイスキーを酌み交わし、世界情勢を語り合った。興に乗った同氏はギターを弾きながら、モンゴル歌謡「母の歌」を歌った。

まだ外国人と会うことが危なかった時代だ。「覚悟を決めて日本人と接触してきた」(清水大使)。同年後半に本格化した民主化運動を、軍機関紙記者だったエルベグドルジ氏(現大統領)ら十数人と主導するようになった。

「『ガラー』が来たぞ」。ソソルバラム氏がウランバートル中心部のスフバートル広場で開かれる政治集会に姿を見せると、数万人の民衆はこう熱狂した。ガラーとは87年の映画「永すぎた夏」で同氏が演じた主人公の名前。映画は港町の作業員ガラーが足の不自由な娘と心を通わせ、最後は彼女を立たせる物語だ。

曲がったことが大嫌いなガラーの性格が「自分と似ていて、役柄と染み込みあった」と最も満足した出演映画に挙げる。90年2月に開かれた初の野党・モンゴル民主党の全国大会では冒頭の発言者を務めた。モンゴルは翌月、平和裏に民主体制へ移行した。

仲間が、大統領、国会議員などになるなか、同氏は芸術の道へと戻った。「自分の好きなことから離れると、人間として魂が無くなってしまう」。得意分野を極めることで、モンゴルの自由や民主を成熟させることに決めた。

2006年には、演劇「拳の固まりの血」で13世紀のモンゴル帝国の創始者チンギスハンを演じた。「彼の『他人の手柄を横取りしない』などの思想は22世紀まで通用する」と敬服する。多くの現代モンゴル人はかっぷくのいいソソルバラム氏の風貌をチンギスハンと重ね合わせる。

「草原の中で育ったモンゴル人の体、声、考え方に合っている」。民族楽器の馬頭琴、歌い手が1人で2種類の声を同時に出すホーミー(喉歌)など、モンゴルの伝統芸能の特徴をこう分析する。いずれも仏教や自然崇拝など宗教心と結びついた「魂の芸術」だとも指摘する。

最近は演出にも力を入れる。14年まで2年連続で、7月に行われる民族最大の祭典「ナーダム」の開会式のプロデューサーを務めた。「モンゴルの魂の芸術を世界の大きな舞台に出したい」との目標を掲げ、100人余りの弟子を引き連れ世界を行脚する。

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4年に初めて日本を訪れて「人々の規則正しさ」に引かれ、長女を留学までさせた親日家でもある。日本人には「おいしい」「大丈夫」など片言の日本語で話しかける。東日本大震災の被災地を慰問したことがあり、今年も壱岐、大阪、新潟をコンサートで訪れる予定がある。

一方で、モンゴル政治への関心も薄れていない。4月上旬には、テレビのトーク番組で「将来のことを広く考えない政治家が増えている」と盟友エルベグドルジ大統領らに苦言を呈した。文化はもちろん、政治にも通じたご意見番として、愛するモンゴルの行方を見守っていく。

<2016年5月8日 日本経済新聞社 朝刊>
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