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第24回受賞者

経済部門
アンソニー・タン氏(写真右)
グラブ最高経営責任者(CEO)/マレーシア
タン・フイリン氏(写真左)
グラブ共同創業者/マレーシア
科学技術部門
タラッピル・プラディープ氏
インド工科大学マドラス校教授/インド
文化・社会部門 
ラム・プラサド・カデル氏

ネパール音楽博物館長/ネパール
アンソニー・タン氏、タン・フイリン氏
米ハーバード大経営大学院留学中に意気投合した2人は卒業後に配車アプリを立ち上げ、食事や食料品の宅配、スマホ決済も手掛ける。ダウンロード数は1億8千万を超え、東南アジアの市民生活に必須のアプリに育てた。詳しくはこちら
タラッピル・プラディープ氏
ナノテクノロジーによる水質浄化技術の先駆者。脱イオン化の手法を確立し世界初の飲料水用フィルターを開発した。インドで1リットル当たり2パイサ(約0.03円)のコストで浄化された水を供給する。
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タラッピル・プラディープ氏
自国の伝統音楽・芸能の消滅に強い危機感を持ち、継承のための活動を精力的に展開。私財を投じた楽器資料をもとに、私設の楽器博物館をカトマンズに設立した。伝統音楽の研究、記録保存、普及で成果を上げた。
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経済部門 アンソニー・タン氏、フイリン氏
配車アプリで生活変える

メーターを使わないのは当たり前。暴行事件を恐れ、女性が一人で安心して乗れない母国マレーシアのタクシー業界を変えたい――。そんな2人の思いから始まった配車アプリは2012年の起業から8年で、東南アジア8カ国、約340の都市で利用される社会インフラに成長した。

共同創業者のアンソニー・タン氏とタン・フイリン氏が事業構想を温めたのは、米ハーバード大経営大学院で机を並べていた時だった。企業利益の追求と社会貢献の両立をテーマとした講義から着想を得た配車アプリの計画は、学内コンペで2位に入選した。卒業後に帰国し、タクシー運転手にアプリの使い方を教えて回るところから始めた。

13年にフィリピン、シンガポール、タイに、14年にはベトナムとインドネシア市場に進出するなど、早くから東南アジア全域への展開を視野に入れていた。18年には米国の同業大手、ウーバーテクノロジーズの東南アジア事業を買収し、域内最大手としての地位を固める。アプリの累計のダウンロード数は1億8500万回に達し、単純計算で東南アジア諸国連合(ASEAN)の人口(約6億5千万人)の3割弱に相当する。

今やグラブのアプリを使えば、配車はもちろん、食事の宅配や食料品の注文、決済、保険の加入など、スマートフォン一つで日常生活の多くのニーズを満たすことができる。新興国で先進的な技術やサービスが一気に普及する現象を「カエル跳び」と呼ぶが、グラブのアプリは東南アジアの人々の生活を便利で、効率的なものに様変わりさせた。

グラブが変えたのは消費者の日常だけではない。8カ国で数百万人単位に上る配車の運転手のうち、21%はこれまで定職に就いたことがなかった若者だ。170万人はグラブで働く経験を通じ、初めて銀行口座を開設した。グラブの宅配網への加入により新たな顧客が増え、収益を大幅に伸ばした飲食店も多い。

グラブが「マイクロアントレプレナー」と呼ぶ、こうした個人事業主は900万人を超える。タン・フイリン氏はグラブのプラットフォームを通じて「消費者の支払ったお金が運転手や飲食店に行き渡り、結果として個人事業主やその家族の生活の質を引き上げている」と強調する。

東南アジアの大都市では長時間の渋滞が社会問題となり、交通量の多さが事故が多発する原因になっている。グラブはドライブレコーダーや人工知能(AI)を活用し、運転手が急ブレーキを踏む場所や状況を分析する。マナーの悪い運転手に講習を受講させるなどして、交通事故の減少を目指している。運転手が不自然なルートを選んだ場合もAIで感知し、犯罪の防止などにつなげている。

配車という新たな社会インフラの定着に向け、各国政府とも積極的に協議を進める。例えば、運転手が安心して働けるための保険や医療プログラムの導入を働きかける。政府が制度を導入した後、その水準に上乗せする独自の福利厚生制度を提供している。

グラブは25年までに、小規模な飲食店など域内500万の中小企業のデジタル技術習得を支援する計画。各国の教育機関と組み、2万人の学生にも最新技術を教え込む。多くの個人事業主はIT(情報技術)の進歩に乗り遅れ、今後淘汰される恐れがある。逆にITを使いこなせれば成長を加速する可能性が開ける。アンソニー・タン氏は「テクノロジーを通じ、全ての東南アジアの人々が自由かつ平等に、経済的な機会を得られるようにしたい」と意気込む。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、グラブのようなスタートアップにとって、かつてない逆風だ。各国政府は感染抑制のために相次ぎ国民の外出を規制し、配車の利用は足元、大きく落ち込む。グラブは運転手から徴取する手数料の引き下げなどで収入の減った個人事業主を支援する。需要の増える食事の宅配などに運転手を振り向け、生活インフラとしての使命を果たそうとしている。

わずか8年で、グラブを企業評価額100億ドル(約1兆700億円)を超える企業に育て上げたアンソニー・タン氏とタン・フイリン氏。コロナ禍は両氏の経営者としての真価と、グラブの社会的意義を改めて問うている。(シンガポール=中野貴司)

起業も二人三脚で

最高経営責任者(CEO)のアンソニー・タン氏はマレーシアの自動車製造・販売大手、タンチョングループの御曹司として生まれた。起業前は父親の会社でマーケティングなどを担当していた。一方、タン・フイリン氏はクアラルンプールの中間層の家庭で育った。英国の大学を卒業後、米マッキンゼー・アンド・カンパニーなどに勤務した。

米ハーバード大経営大学院で知り合った当初、タン・フイリン氏は「アンソニーとは育った環境があまりに違いすぎ、最初は『金持ちの嫌なやつ』だと思っていた」と打ち明ける。だが、配車アプリのアイデアで意気投合してからは、今に至るまで、起業や事業展開に伴う数々の困難を二人三脚で乗り越えてきた。ともに明るく開放的な性格だが、アンソニー・タン氏が情熱を前面に出す一方、タン・フイリン氏は理知的な印象を残す。

グラブはHeart(人情)、Honour(名誉)、HumilITy(謙虚さ)、Hunger(渇望)の「4つのH」を中核の価値観に据える。短期の利益より中長期な成長を重視する日本の企業経営と通じるものがあり、アンソニー・タン氏は「三現主義」や「カイゼン」といった日本語をよく口にする。敬虔(けいけん)なキリスト教徒であるアンソニー・タン氏にとって、イエス・キリストとソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長がメンターなのだという。

<2020年4月30日 日本経済新聞朝刊>
PAGETOP
科学技術部門タラッピル・プラディープ氏
安全な飲料水 安価に提供

パキスタンと国境を接するインド北部パンジャブ州。日本人の多くがインド人と聞いて想像するターバン姿のシーク教徒の聖地があり、巡礼者と観光客でにぎわう総本山・黄金寺院で知られる。ヒマラヤから流れ込む複数の水脈に育まれた穀倉地帯でもあるが、地下水の多くは天然由来のヒ素や鉄に汚染されている。

井戸水などを飲むパンジャブ州の農村部や貧困層は長年、汚染水に悩まされてきた。この問題を解決しつつあるのが、インド工科大学(IIT)マドラス校(南部タミルナド州)のタラッピル・プラディープ教授が中心となって開発した水質浄化技術だ。

この技術は逆浸透膜(RO膜)などを使って水をろ過するのではなく、金属を活用するのが特徴だ。「銀など一般的な金属を使い、酸化還元反応で水中の毒物を分解する」とプラディープ氏は説明する。ナノテクノロジー(超微細技術)を応用した飲料水用フィルターは世界初とされる。

浄水装置は電力を使わず、月に2度、1回15分のメンテナンスで使い続けられる。RO膜を使った水処理に比べ捨てる水が少なく、そして何よりも重要なのは、水の料金が1リットルあたり2パイサ(約0・03円)と安価な点だ。

「科学をどう応用すれば安全な飲み水を得られるのか」。プラディープ氏が浄水技術の研究にのめり込むきっかけとなったのは、2000年代初頭にインドで発覚したコカ・コーラとペプシコ、米系2社による飲料の農薬汚染だ。ペットボトル入り飲料水や清涼飲料で圧倒的なシェアを握る2社の商品に基準をはるかに上回る農薬が含まれ、大きな社会問題となった。

「ナノ粒子であれば一般的な農薬に使われる化学物質を分解できる」。プラディープ氏は研究を重ねた。浄水できるだけではなく、「我々の目的は貧しい人々にきれいな水を提供すること」。1リットルあたり5パイサ(約0・07円)での実用化を目標に掲げた。

とはいえ、道のりは決して平たんではなかった。「資金はなかった。博士号の研究対象にできず、人手も足りなかった」。高尚な論文の数を評価の物差しとしがちな大学では、すでに他の手法が存在する浄水技術の研究で認められるのは難しそうにも見えた。

それでも、プラディープ氏は社会的に意義のある研究だと疑わなかった。「論文の発表と浄水の研究、両方やればいい」。持ち前の勤勉さを発揮し、寝る間を惜しんで研究に没頭した。次第に学生らが協力し始め、06年ごろには研究室はあたかもスタートアップ企業のように活気を増していた。「社会に貢献できることをやれば、人は評価して支えてくれる」と実感した。

当初は農薬を除去する浄水技術で始まり、ヒ素や鉄などに対象を広げていった。確立した技術はIITの学生らが起業し、商業化にこぎ着けた。13年ごろには大規模な浄水に着手し、10秒で1リットルをきれいにすることに成功した。

今ではこの技術を活用した浄水装置がパンジャブ州に80基以上設置され、約15万人にヒ素を除去した飲料水を提供している。ほかにも、ウッタルプラデシュ州やビハール州、西ベンガル州など複数の州で採用され、飲料水の供給は750万人以上に上る。

独自に開発したナノ物質を利用して、インド国民が安心してきれいな水を飲める環境の提供を本気で目指している。営利目的ではなく、人間愛に突き動かされた彼のライフワークだ」。プラディープ氏と親交のある東京大学の佃達哉教授は評価する。

IITマドラス校は18年、国際的な水研究の産学連携拠点を南部チェンナイのキャンパス内に設けた。「水の研究に取り組みたい人であれば誰でも歓迎したい」。責任者に就いたプラディープ氏は力を込める。大学や企業はもちろん、政府、非政府組織(NGO)などに幅広く門戸を開いている。(早川麗)

田舎道で環境意識培う

インド南部ケララ州の小さな村で、教師だった両親のもとに生まれた。10歳ごろからの6年間は毎日、片道4キロメートルを歩いて通学した。「周りを眺めながら田舎道を楽しんでいた」。タラッピル・プラディープ氏は振り返る。

自然に囲まれた生活の中で幼少期から環境への意識が高まり、その後、水の浄化技術の研究に没頭する原動力の一つになった。

根っからの研究好きだ。余暇は主に読書に費やすが、「読むのはもっぱら科学に関係する本ばかり」と苦笑いする。哲学書や小説も手に取るものの、それとて科学をテーマにした内容だ。

「教師は教え子にとても大きな影響を与える」。プラディープ氏は当時の指導教官らに今でも深い感謝の念を抱いている。次は自分が学生たちの手本になるべきだ。そう胸に刻んでいる。

<2020年4月30日 日本経済新聞朝刊>
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文化・社会部門ラム・プラサド・カデル氏
民族楽器 未来に継承

北部は8000メートル級のヒマラヤ山脈、南部には亜熱帯性の平野が広がるネパール。豊かな自然に恵まれ、生活に根づいた伝統的な音楽が長く奏でられてきた。民俗楽器はおよそ1350種類あるといわれ、風や牛の鳴き声に似た音を出すことができる。ところが、ネパールは社会構造の変化に伴い、各地で伝統音楽が途絶える危機に直面していた。ラム・プラサド・カデル氏は未来に民俗楽器を継承しようと立ちあがった。

カデル氏は1992年に首都カトマンズのトリブバン大学を卒業し、宗教絵画「タンカ」を制作・販売する工房に就職した。タンカは仏教の仏像、文字、シンボルなどを描いた掛け軸だ。人々に勧めるためには仏教だけでなく、他の宗教観についても精通しなければならない。最初は販売に苦戦したが、ある日、友人を通じて聖典に詳しい学者の先生と知り合った。その人物が師匠となり、深い知識を日々、習得していった。

「教えを得る代わりに、何かお返しがしたい」。95年、カデル氏が師匠に申し出ると「私は何も必要としていない。国のためになるようなことに取り組みなさい」。思わぬ答えが返ってきた。カデル氏はかねて、幼い頃からなじんできた伝統音楽を耳にする場が減り、文化を教える音楽学校も消滅しつつあることを気にかけていた。「ネパールに民俗楽器の博物館をつくります」。師匠にこう伝えると、すぐに準備にとりかかった。

まずはネパールにどんな民俗楽器があるのか。夫人とともに小さなオフィスを設け、リストを作成した。もっとも、カデル氏自身、音楽に深い造詣があるわけではない。この分野の専門家を探し出し、必死に情報を集めた。自主運営のため資金の確保にも苦労した。今も兼業するタンカの販売で資金を得て、楽器の収集や研究に私財を投じた。

約5年の準備期間を経て、首都カトマンズで2002年、「ネパール民俗楽器博物館」の開館にこぎ着けた。当初はカデル氏やボランティアら3人で運営し、ネパール各地で集めた150種類の楽器の展示からスタートした。07年には現在の所在地である寺院の敷地内に移転し、「ネパール音楽博物館」に改称した。今では655種類が集まり、楽器の総数は合計1000を超えるまでになった。

カデル氏はネパール全土に足を運び、まずは楽器の材質を調べ、次にいつごろできたものかを入念に記録した。地域によっては、楽器は人々の悲しみ、痛み、病気を癒やす道具として使われる。それぞれの場所で慣習や文化が少しずつ異なるため、丁重に頭を下げ、協力を取り付けた。

楽器が集まり始めると、カデル氏はネパールの伝統音楽が持つ多様性を知ることになった。各地で昆虫や鳥、動物、風に触発されて音楽が奏でられ、民俗楽器は木の皮や動物の骨といった、地元で入手できる素材で作られていた。

伝統音楽は自然とも連動していた。平地では歩いたり踊ったりしやすいため、地域の音楽のリズムは総じて速い。逆に、丘の中腹にある村や山の上ではゆったりとしたリズムで奏でられる。カデル氏はネパールの伝統音楽は他国と異なり、地理条件や人々の生活に応じて独自に発展を遂げてきたことを理解した。

楽器の収集だけでなく、音楽文化の発展を促す活動にも力を入れる。伝統音楽を映像に記録し、館内では定期的に公演を開く。ネパールは他国より音楽の調査や研究が遅れていたが、海外の専門家とも積極的に交流している。

「地道に草の根の活動を続けてきた。ネパールの伝統音楽の研究や記録・保存、普及で驚異的な成果をあげてきた」。カデル氏と親交がある国立民族学博物館の寺田吉孝・名誉教授はこう評価する。

「長年の取り組みが実り、祖先から受け継いだ貴重な楽器を守ることができた。若い世代に継承できることがうれしい」。博物館に南アジア各地の楽器をそろえることを夢見るカデル氏の挑戦に終わりはない。(馬場燃)

村祭りで伝統文化学ぶ

「将来、音楽に関連した仕事に就くとは子どもの頃、想像もしなかった」。ラム・プラサド・カデル氏は笑みを浮かべる。1966年、ネパール中部・ダディン地区の小さな農村で生まれた。この地区の多くは農家で、カデル氏も兄とともに、放牧している牛の面倒を見て育った。畑では種まきや収穫を手伝い、両親に代わって妹の世話をしてきた典型的な農家の生まれだ。

ネパールには多数の民族グループがあり、各地域で伝統文化を育んでいる。幼少時の楽しみは地域の村祭りや催しに参加することだった。地元のミュージシャンが伝統音楽を演奏し、みなが踊って楽しんだ。

8歳の時、父親からホラ貝の民俗楽器をもらったことを今でも鮮明に覚えている。これらがカデル氏にとって伝統音楽に触れる原体験となり、後に内戦や移民の増加で消えつつあった民俗楽器を守り抜くことを決意した。

現在は音楽中心の生活となり、様々な民俗楽器で奏でられる音に耳を澄ませることがこの上ない喜びだ。

<2020年4月30日 日本経済新聞朝刊>
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