
初期の浮世絵版画は、17世紀後半に生まれた墨一色の墨摺絵に始まり、墨摺絵に筆で彩色した丹絵や紅絵、墨に膠(にかわ)を混ぜて漆のような光沢を出した漆絵へと発展しました。18世紀前半には、これらの筆彩色に替わって、紅や緑などの色版を重ねる版彩色が生まれました。後にこの技術が土台となって、多色摺の錦絵が誕生します。
本章では、浮世絵師の祖といわれる菱川師宣や、力強い描写で知られる鳥居清信・清倍など、江戸独自の浮世絵文化を形成した浮世絵師たちの作品をご紹介します。
菱川師宣 「衝立のかげ」
延宝後期~天和期(1679-84) 横大判墨摺筆彩
無款(鳥居清倍カ) 「市川役者の鬼打豆」
宝永末~正徳期(1709-15)頃 大大判丹絵
18世紀後半、趣味人の間で美麗な絵暦の交換が流行したことを機に、多色摺の錦絵が誕生しました。錦絵創生期に最も活躍したのが、可憐な美人画で有名な鈴木春信です。多くの絵師に影響を与えた春信の没後は、堂々とした体軀の美人画を描いた礒田湖龍斎や、伸びやかな美人画を描いた鳥居清長が知られるように、絵師独自のさまざまな様式が生まれました。歌舞伎役者を写実的に描いた一筆斎文調や勝川春章が活躍したのもこの時代です。
鈴木春信 「お百度参り」
明和2年(1765) 中判錦絵
勝川春章 「東扇 二代目山下金作」
安永5~6年(1776-77) 倍間判錦絵
寛政期(1789~1801)に入ると、浮世絵版画の様式や表現はさらに多様化しました。喜多川歌麿は、上半身を描く大首絵の様式を用いてさまざまな階層の女性を描きました。
寛政6年(1794)5月からの約10ヶ月間のみに活動が知られる謎多き浮世絵師・東洲斎写楽の作品は、歌麿をいち早く見出した蔦屋重三郎が版元となって世に送り出しました。版元が浮世絵出版のプロデュサーとして重要な役割を担っていたのです。
和泉屋市兵衛が出版した歌川豊国「役者舞台之姿絵」の連作も好評を博し、役者絵に新展開をもたらしました。豊国の弟子、国政も役者大首絵の傑作を数多く残しています。
喜多川歌麿 「歌撰恋之部 物思恋」
寛政5~6年(1793-94)頃 大判錦絵
歌川国政 「二代目中村仲蔵の松王丸」
寛政8年(1796) 大判錦絵
文化・文政期(1804~30)に入ると、商品ではなく私的な出版物として制作される摺物も増え、錦絵はより細密な描写へと発展しました。特に色紙判の狂歌摺物では、精緻な彫、金銀摺、空摺など贅をこらした作品が数多く作られました。これら摺物の絵師として名を馳せたのが、葛飾北斎とその門下の絵師たちでした。また、本章では、江戸とは別に発展した大坂の浮世絵もご紹介します。
葛飾北斎
「四性ノ内 藤 干珠満珠 藤巻鎌」
文政5年(1822)頃 色紙判摺物
岳亭
「傾城見立列仙伝 七番の内 琴高」
文政7年(1824)頃 色紙判摺物
春好斎北洲
「三代目中村歌右衛門の加藤正清」
文政3年(1820) 大判錦絵
葛飾北斎は約70年という長い画歴の中で、一般の浮世絵版画ばかりではなく、摺物、版本の挿絵、絵手本、絵本、肉筆など、次々に新しい画域に挑みましたが、本章では、世界的に有名な「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻リ」シリーズなど、北斎を代表する浮世絵版画の数々をご紹介します。特に、「風流なくてなゝくせ」は、唯一伝わる大判の美人大首絵シリーズの中の一図で、状態も非常によく、リー・ダークスコレクションの中でも特に貴重な作品です。
葛飾北斎
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
天保2年(1831)頃 横大判錦絵
葛飾北斎 「風流なくてなゝくせ 遠眼鏡」
享和年間(1801~04) 大判錦絵
天保期(1830〜44)以降は、浮世絵界は歌川派の絵師たちによって牽引されていきました。多くの門人を擁した歌川豊国が文政8年(1825)に没した後は、美人画・役者絵では国貞、武者絵・戯画では国芳、名所絵では広重が活躍しました。幕末の錦絵は出版量が増大したため、初摺と後摺で大きな違いが出ましたが、広重の摺の早い作品が多いのも、リー・ダークスコレクションの魅力の一つです。
歌川国芳 「摂州大物浦平家怨霊顕るゝ図」
天保13年(1842) 大判錦絵三枚続
歌川国芳 「亀喜妙々」 嘉永元年(1848) 大判錦絵三枚続
歌川広重 「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」安政4年(1857) 大判錦絵
作品画像はすべてリー・ダークスコレクション ⓒ Lee E. Dirks Collection